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エンターテインメントが描く<共生> 前編

映画・ドラマ・漫画など様々なエンターテインメントが描いてきた<共生>について、LGBTQ当事者である日本テレビ放送網社員と、HuluのLGBTQ特集企画担当社員が語る座談会前編
 

直原
本日は「エンターテインメントが描く共生」というテーマで座談会をさせていただきます。

谷生・白川
よろしくお願いします!

直原
私は動画配信サービスのHuluでサイト編集をしているんですけれども、今回LGBTQを描いた作品の特集を企画しまして、LGBTQ当事者であるお二人に監修のご協力をお願いしたことをきっかけにこの座談会が生まれました。まずはお二人の自己紹介からお願いできればと思っています。

白川
日本テレビの白川と申します。報道局のDX取材部に所属していまして、夜のニュース番組『news zero』も担当しています。
今回の件に関するところでお話しすると、僕自身がゲイであるということをカミングアウトして仕事をしています。2018年に日本テレビでLGBTに関する研修が開かれた時に、研修の進行役を担当したのですが、自分も当事者であり伝え手としてお手伝いさせて頂きますという形で多くの社員の前でカミングアウトしたのがきっかけです。

それ以降はLGBTQだけではなく、多様性だったりとか、今でいうとSDGsに関する取材や配信番組の制作などをしております。よろしくお願いします。

谷生
谷生です。2000年入社で、その時は「普通の」男性社員として入社しました。報道局でずっと記者をしていて、外報部、社会部を経てカイロ支局に5年間いました。その中東生活で文字通り人生観が変わるような経験をしまして、2010年に帰国。2012年に報道局から『金曜ロードショー』のプロデューサーに異動になりました。その年の秋にカミングアウトして女性として生活を送りつつ、現在は映画事業部に在籍しています。『news zero』にコメンテーターとして出演していたので、白川君とはそこで一緒でした。

白川
谷生さんは映画事業部志望で入社して、ついに今その部署なんですよね。

谷生
そう! もともと映画を作りたかったんですけど、なぜか報道に行き、カイロに行くことになったんです。でもカイロでの経験がなかったら今の状況にはなってないから、報道は自分を育ててくれた部署っていう気持ちなんですけどね。

直原
せっかくの機会なので、カイロでのご経験をぜひ伺いたいです。

谷生
カイロでは中東特派員として、テロとか戦争とか、シンプルに言うと人の命が簡単に失われていくような現場を目の当たりにしたんです。そこで思ったのは、人生は本当にいつ終わってもおかしくないということでした。

カイロは一人の時間が多くなるので自分と向き合う時間も増えて、これまでのことを色々考えていたんです。私が小さい時は、トランスジェンダーとしてのロールモデルがいわゆるニューハーフ、水商売の方向しかなかったんですけど、憧れは抱きながらも、私の場合、家を出てゲイバーへ飛び込んで……みたいな将来が自分の中では想像できなかったんですよね。どうしても、いわゆる既存のレールや進路を外れることは考えられず、目の前の進学目標に向けて頑張って世界を広げていこう、というビジョンしか持てなかったんです。そのビジョンに沿うトランスジェンダーとしての生き方が見つけられなかったんですね。

だからトランスしたいっていう気持ちはあったけれど、それは無理だと思っていたし、仕事の忙しさの中である種その気持ちが薄まっていた時期もあったんです。でもカイロで自分の生き方を考えていた時に、私は女性になりたい気持ちがあるというのを改めて思って、少しずつメイクをしたり、ちょっと中性的なカバンを持ったり、ということを始めたんです。

白川
中東だとそういうのってどう受け止められてたんですか?

谷生
異質だったとは思う。ちょっとビジュアル系のお兄さんみたいな感じ? でも帰国後はまた日本の社会に溶け込まなくてはいけなくなったから、しばらくそのままでいたんですけど、2011年の東日本大震災を経てまた少し考えが変わってきたんですよね。

中東にいたから命が本当にすぐ消えてしまうということを感じさせられて、自分も影響を受けたと思っていたんですけど、人生がいつどうなるかわからないというのは日本でも同じなんだなって思って。その時私は36才になっていて、私の「いつかやろう」は今なんじゃないかと思うようになったんです。

その後、2012年6月に編成部の『金曜ロードショー』担当に異動になったタイミングで素敵な女性上司に恵まれて、11月にカミングアウトして、会社の中での立ち振る舞い、メイクだったりファッションだったりっていうのがより加速していきました。

白川
上司や周りが理解して寄り添ってくれるって、本当に大事ですよね。

谷生
そうだよね。会社的には、2018年10月に『news zero』に出演するとなった時から、戸籍上の名前の男性名から今の「俊美」という名前に変えられるようになって、名刺やメールの名前も今は女性名です。


直原
ありがとうございました。それでは今回のテーマである「エンターテインメントが描く共生」について、お二人が今までに触れた「共生」「多様性」「LGBTQ」などを描いたコンテンツで特に心に残っているものがあればぜひ教えてください。

白川
今回改めて考えたんですけど、「共生」「多様性」はまだしも、「LGBTQ」がテーマのコンテンツって、つい最近から爆発的に増えているんですよね。でも、感銘を受けたというと、自分が多感だったティーンエイジャーの頃とかを想像するじゃないですか。思い返しても、そういえばこんなになかったよねというのをすごく思って。

谷生
うんうん、そうだよね。

白川
なので本当にいいなと思って感銘を受けた作品というのは、自分が大人になった2010年代以降に出てきてるんです。それまではそもそも描かれていること自体が少なかった。自分が初めて同性愛的なコンテンツを知ったのは何だったのかというのを考えていくと、最初は漫画とかのサブカルチャーだったんですよね。一番遡って出てきたのは『パタリロ』。

谷生
あーなるほどね!

白川
バンコランとマライヒ(※『パタリロ』の男性キャラクター)のことはそういうものとして理解していたし、『パタリロ』では二人が同性愛であるということが理由の差別はないんですよね。『パタリロ』って、当時の僕は「ギャグ作品」だと思っていたんですけど、1970代以降の日本のボーイズラブの流れを引いていて、BLの王道の耽美的な作品のパロディーとしてのギャグ作品という側面があるんですよね。同性愛者をネガティブに描いていないコンテンツというと、『パタリロ』が最初に触れたものだったと思います。

谷生
あれは印象深いね。男の子がお化粧してるっていうことにも私はドキドキした。

白川
そうですね、トランス性という意味でも先見的だった。
その次に思い出したのが『聖闘士星矢』のアンドロメダの瞬。『聖闘士星矢』って基本的にはバトル作品なんですけど、アンドロメダの瞬っていうキャラクターだけちょっと特異なんですよね。男性なんですけど、鎧がピンクだったり容姿も女性的で。明確にLGBTQ的に描かれているというわけではないんですが、今で言う「ジェンダーの枠組み」を壊す存在として気になっていました。
あとは『セーラームーン』のセーラーウラヌスとネプチューン。この二人は女の子同士なんですけど、ウラヌスは宝塚の男役みたいなかっこいいボーイッシュな女性で、ネプチューンと付き合っているという設定になっているんです。

バンコランとマライヒとか、ウラヌスとネプチューンとか、メジャーな作品の中で同性同士が付き合っているというのに触れたのは、こういうものだったなというのを今回改めて思い出しました。

改めて調べてみると同性愛者が登場するテレビドラマや映画も多少あったようなのですが、「普通の」子どもだった僕がポジティブに描かれた同性愛として触れることができた作品は、テレビドラマや映画ではなく、70年代からのボーイズラブ文化の影響を受けたと思われる漫画やアニメ作品たちだったと思います。

谷生
自分も子供の頃を思い出すと、手塚治虫先生のアンドロギュノス(男女両性)がテーマのもの、例えば『リボンの騎士』では女性だけど王子として生きている主人公・サファイアが大活躍するお話しにドキドキしていました。あとは『人間ども集まれ!』という初期の作品があるんですけど、両性具有の人造人間を作る話なんですね。作られる人たちが両性具有だというのが明確に描かれていて、私はそれを見て、こういう存在があり得るのかっていうのを知ったんですよね。

白川
僕たちが若い頃って情報が全くなかったから、すごく飢えてるわけですよね。だからまず辞書を引くんですけど、そこには割と絶望的なことしか書いてない。他はなにかといえば、漫画か、それこそ三島由紀夫とか、ヘッセの『車輪の下』とかそういうものしかコンテンツがないわけですよ。そこにやっと、江國香織さんの『きらきらひかる』が夏休みの課題図書に選んでもよさそうなゾーンにギリギリ入ってるか、入ってないかみたいな(笑) だから、僕たちがティーンエイジャーの頃は「エンタメと共生」という作品の選択肢がそもそも少なかったし、今はそう考えるとすごく百花繚乱ですよね

谷生
それってでも、長い間サブカルチャー的でしか存在し得なかったっていうことでもあるんですよね。ハリウッド映画のようなエンタメのメインストリームは、LGBTQの人たちをいないかのように描いてきたっていうのが70年代までだと思う。それが80年代に入って変わっていった過渡期に、我々はちょうど思春期を迎えてる感じだね。

白川
そうですね。そこでテレビだとどんな作品があったかというと、日本テレビの『同窓会』っていう作品はやっぱりとても印象に残っています。描き方については、今だったらこうはしないだろうなって思うポイントはいっぱいあるんですけど、ただ地上波が作品のど真ん中のテーマに取り上げるようになった。

調べたら『あすなろ白書』も同じ年で、しかも同じクールの93年10月。その後に『3年B組金八先生』で上戸彩さんが性同一性障害の鶴本直を演じたのが2001年。テレビが描くようになってくるのがやっと1990年代から2000年代なんです。

さっき谷生さんが話した「いないものとして扱われていた」という話でいうと、いないだけじゃなくて、出てくるんだけど、大抵悪役か悲劇的な最期っていうのがLGBTQ登場人物あるあるだと思っていて。『あすなろ白書』も『同窓会』も最後二人とも死んでしまいますし、悪役のLGBTQ設定って多い気がしませんか? 単に出てくる・出てこないだけじゃなくて、どういう存在として出てくるかっていうのも今は変化してきているんじゃないかなと思います。ハッピーエンドのLGBTQものがもっと増えてくれたらいいなって思いますよね。

谷生
私は映画を3本ご紹介しようと思うんですけど、まず名前をあげたいのが『リリーのすべて』。オスカー俳優のエディ・レッドメインが、デンマークで最初に性適合手術を受けた実在の女性を演じている作品なんですね。
トランスジェンダーでない人がその当事者を演じるということに対して批判の声も一部であがってきていて、そこには議論の余地があると思うんだけれども、少なくともその当時は、世界的な監督が世界的なスターを使ってトランスジェンダーを正面から描くというのがすごいことだったんですよね。

特にやっぱり、MtFトランスジェンダーを描くって難しいと思うんです。FtMの方が一般的に受け入れられやすいんですよ。MtFだとどうしても、体格の問題があったりするから。そういうのを乗り越えた中で『リリーのすべて』は世界的な評価も受けたし、悲劇的な作品ではありますけれども、トランスジェンダーをテーマにしながら普遍的な愛の物語にもなっていて、すごく感動しました。

白川
最近、エディが「当時は最善をつくしてあの作品を作ったが、今だったらやらなかっただろう」と発言して改めて注目されていましたよね。でも、やはり当時としては谷生さんの言うとおり画期的で、今に至る議論を含めて映画界に変化のきっかけを与えた作品なんだと思います。

谷生
もう一本は『ナチュラルウーマン』。これはチリ映画で、2018年3月のオスカーの外国映画賞を受賞している作品です。ダニエラ・ベガというチリ人のMtFトランスジェンダー女性が主人公を演じていて、その存在感と歌声がすごいんですよ。彼女をキャスティングしたことこそが、この映画の素晴らしさに直結したんだな、と思わされる作品です。

トランスジェンダーあるあるが描かれていて、差別されたりもするのだけど、彼女は負けないんです。強く強く生きていく、それってとても普遍的。LGBTQだったり、セクシャルマイノリティの人が受ける困難って、実は色々なマイノリティの人が直面する困難と同じ種類のものだったりするんですよね。そういうところまでも感じさせる作りになっていて、ダニエラはもちろん、映像も音楽も本当に美しくて、涙が止まらない作品だったな。

白川
不勉強で見たことなかったんですけど、俄然見たくなってきました!

谷生
最後はエマ・ストーン主演の2017年『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』。ビリー・ジーン・キングという70年代の実在する女性テニススターのお話なんです。70年代における女性のテニス興行って、圧倒的に男性支配のテニス興行の中、女がテニスやって誰が見に来るんだよ、みたいな状況だったんですね。
そんな中でビリー・ジーン・キングは、私たちの試合は絶対に見る価値があるし、男性と女性で賞金や待遇の差があることをおかしいと言って、問題提起したんです。でも女性の権利向上を求める動きが出てくると、当然面白くないと思うおじさんたちから叩かれます。引退したかつてのチャンピオンがビリー・ジーン・キングを挑発して、それならショーアップされた舞台で対決しようとなる。“異なる性別間の戦い”という意味での『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』なんですよね。

50年ほど前に女性が置かれていた状況って、女は料理作っていればいい、テニスなんかするな、みたいな感じだったんだなぁって。我々の親世代が青春をその頃に過ごしてることを考えると、結構衝撃的です。

LGBTQって「どう理解すればいいのかわからない」と言われることがあるんですけど、女性問題と言われているものを考えればわかりやすいんじゃないかな、と思うんです。女性は100年前、ほとんどの国で選挙権がなかったんですよね。それって簡単に言うと、女性は一人前の人間ではなかった。でも今では、世の中の流れとして「女は家に引っ込んでろ」って心の中で思っていたとしても、公の場で言っちゃダメじゃないですか。女性に男性と同様の権利がないのはおかしいという共通認識が世界中に当たり前のこと、として広がっています。つまり、基本的な人権の話なんだと。LGBTQについても、セクシャルマイノリティや性的少数者というだけで、明らかな差別や不当な扱いを受けるというのはおかしいよねというのが、世界の共通認識として持たれつつあると思います。

白川
テニス以外のスポーツは、基本的に女性の方が地位や賞金が低いですよね。それこそサッカーではビジネスクラスかそうでないかみたいな話題もあったりしましたし。

谷生
そうそう。オリンピックに女性の競技がないものって結構多いんですよ。でもいったん始まってしまえば当たり前じゃないですか? 例えば柔道って、女性の競技ができたのは1988年のソウルオリンピックから。しかもこの時はまだ、正式競技ではない公開競技扱いだったんですよね。1992年にようやく正式競技として認められるんです。

直原
そんな最近のことなんですね。

谷生
危ないからとか、女性の身体に負担がかかるからとか言われていたことは、結果すべて撤廃されてきているというのが大きな流れだと思うんですよね。LGBTQ問題っていうのもこういう位置づけの基本的な人権の話であって、きちんと考えよう、制度を認めていこう、という方向に向かっていくのでは、と。個人的にもそのほうが当然望ましい、と考えています。


直原
お二人はLGBTQ当事者という立場もありつつ、テレビ局の社員としてコンテンツを発信する立場にもあると思うんですけれども、その立場として「共生」「多様性」についてできることはどういうことがあると思いますか?

白川
2つお話したいなと思っていて、1つはあまり前向きな話じゃないんですけど、やっぱりテレビとかエンターテインメントの表現が僕を含めた当事者の人たちを時に傷つけてきたということは念頭に置かなきゃいけないし、残念ながら今も傷つけているというケースもあると思うんですよね。

自分が多感な時期に見てきたテレビというのは、当事者の僕にとっては結構きついものがたくさんあったし、会社に入ってから関わってきた番組たちの中にも、今だったら「これはやめませんか」って言いたくなるようなものもありました。

僕は自分の会社のことが大好きなんですけど、自分の好きな会社のブランドで届けられるコンテンツが誰かを傷つけているかもしれないということが嫌だなって率直に思って。でもカミングアウトしていなかった時は、やっぱり一社員の立場で、僕が別の番組の人に何かを言うのは難しい。なので、カミングアウトして皆さんに知ってもらった上で、表現に迷うことがあったらいつでも聞いてくださいと言うことができたら、誰かを傷つける表現が減るかなと思って、それがカミングアウトのきっかけの1つでもあります、

谷生
実際減ったんじゃないかな?

白川
そう思います。もちろん時代の変化もありますし、制作者の皆さんが意識をアップデートしてくれたっていうこともありますけれど、やっぱり月に数回は「こんな表現どう思う?」って聞いてもらえるようになったんですよね。それはありがたいことだし、僕も気になることがあったら今はもう、プッシュ型で“おせっかい”することも時々しています。でも皆さん、教えてくれてありがとう、次から気をつけるねって言ってくれる。それが制作者として僕にできる“責任”だと思っています。

2つ目はちょっと言い方が難しいんですけど……
報道の番組作りに携わるなかで、当事者として何かを伝えるということが公平性を欠くんじゃないか、と言われることもあるんですね。ただ、伝える側の中に多様性があることが大事だと僕は思っています。つまり、僕が公表しなければ多くの場合、表面上は「異性愛の人たち100%」で取材され編集されたニュースが届けられていく。でもそこに白川が入ることによって、見ている人の中には異性のパートナーを持っていない人もいる、恋愛をしない人もいるっていうことを思うきっかけになるだろうなって。
世の中が100%異性愛の人でてきていないように、報道や番組作りの仕事の中にも一定程度僕らみたいな人がいた方が、世の中の姿をそのままに伝えることができると思っているんですよね。その2つが、今自分が公表してお仕事していてよかったなって思うことです。

谷生
私も2つあります。1つ目は、今いる映画事業部という部署は、広くあまねく色々な人に楽しんでもらえる良質なエンターテインメントを映画として届けていくというのが大きなミッションなんです。それがまず達成されることが第一優先。そこに自分の特徴でもある、トランスジェンダーの当事者性だったり、LGBTQという分野に対する精通だったりという部分を、企画の着眼点として使えればいいなとは思っています。私のトランスジェンダーとしての想いを届けるために映画を作りたいとは思っていないんだけど、そこは強みだと言ってもらうこともあるので、今後は深めていってもいいのかなと思っているところです。

2つ目は文字通りの発信者として、今もこういう場を与えていただいて本当にありがたいなと思いますけれど、『news zero』も含めて世の中に自分が出るという決断をしたので、そのことが自分にとってもプラスになるはず、と思っていると同時に、会社にとっても貢献できることに繋がるかも、と考えています。私という存在が表に出て言葉を届けていくということは意味があることだと思っていますね。